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Patrick Guns 「My Last Meals」

2008/02/12 05:54

 

パリの有名な現代アートギャラリーの中で、写真作品を専門に扱うギャラリーがいくつかあります。そんななかのひとつで、良いアーティストを抱えて評判の良いのがGalerie Polaris
有名な写真作家だけでも、ギャラリー ポラリスと言えば、Stephane CouturierやYto Barrada、Xavier Zimmermannなんかが思い浮かびます。
一年ほど前に以前の狭すぎて倉庫のように感じられたスペースから、道を挟んで向かい側のすぐ近くの、展示スペースの大きい場所に引っ越しました。


2008年1月12日から2月23日まで、1962年生まれのベルギー人アーティスト、Patrick Guns の「My Last Meals」展が開催されています。

ギャラリーを入るとすぐに、アーティストが書いた文章が壁に貼ってありました。
「何年か前に、テキサスの法務省のサイトに、執行直前の死刑囚の最後の食事に食べたいもののリストを発見した。
死刑囚の選ぶメニューはひとつのイメージだ。彼らの最後のメッセージであり、最後に残す跡である。これらのイメージは生と食欲の側に存在する。
このメニューリストから、私は有名な料理人たちに、彼らのヒューマニズムを主張することを全く考慮にいれずに、これらの最後の意志を創作してもらうことを提案した。
私はパラスの住人たち(ここでは有名シェフ)だけが、これらの選択を解釈することができると思う。死を目前にした生の賛美の中に、メニューを色とりどりに構成することができる。」

こんな大層な文章。この文章の中で、「ヒューマニズムを主張することなしに」というところがポイントだと思います。私はアメリカ合衆国に足を踏み入れたことのない人間ですが、アメリカ人の食べてるものの印象はハンバーガーだとかフライドポテトだとか甘ったるいケーキだとか、そういう脂っこそうな大味のもの。
そんな私のアプリオリを裏付けるかのように、大きい文字で書かれた最後の晩餐のメニュー。そしてその横には、世界で有名な料理人の持つお皿。ハンバーガーもローカロリーそうな、おしゃれな一品になっていました。
ヒューマニズムを主張するなら、ここで笑ってはいけないんですが、さすがに「それが食べたかったんじゃないと思う!」って突っ込んでしまいます。


一枚大きく紹介するとしたら、やっぱりフランスの料理人にしよう!と思って、ギー マルタンのバージョンをパチリ

グリルハム、チーズサンドイッチ、オニオンリング、チーズケーキ、そして最初の恋を振り返って、、、ミルク

それがオシャレなフランス料理になってしまいました、、、。

上の写真のようにどの写真も料理人が自身の調理場で、お皿を見せているものでした。どうして料理を大きく見せないんでしょう?料理がどんなものか、あんまり見えないようになっています。そこにもアーティストの意図があるんでしょうけれど、私にはわかりませんでした。

でもいったいこんな作品買う人がいるんだろうか、、、。



Galerie Polaris
15, rue des Arquebusiers -
75003 Paris
Tél. 33 (0)1 42 72 21 27
Fax 33 (0)1 42 76 06 29
contact@galeriepolaris.com
火ー金 13時ー19時
土 11時ー13時 14時ー19時

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Propositions lumineuses 2

2008/02/05 03:02

 

Gallerie Alain Gutharc にて、2008年1月12日から2月23日まで開催されている「Propositions lumineuses 2(光の提案 2)」展。
Dan Flavinじゃなくたって、最近は世界中のどんな作品作りをしているアーティストもネオンを他の素材と同じように利用してますよね。
展覧会のタイトルに「2」とつくのは、同ギャラリーにて、2005年12月に同主旨のグループ展が行われたからです。

光というか、電気を使った作品ってのいうのは、見る側に立つ私にとっては、実はものすごく難しい対象です。電気があまりにも私たちの日常生活になくてはならない存在なので、それらを「作品」としてではなく、「電気」として見がちだからです。それこそ「これはウチにはいらんわー。」「これはあの部屋のあそこに置きたい。」というような、めちゃくちゃ庶民的な角度でしか見れない。便利性や機能性、そしてデザイン性が求められる現代の「電気」ですから、デザインもアートの一つの枠組みに入れると考えた場合、それらももちろんしっかりした「作品」であるとは思うんですが、やっぱりコンテクストの相違が明らかなのも否めません。

誰がどの作品の作家かわかりますか?


事務所の上にぶら下がってる電球。ハンガーがシャンデリアみたいになってます。
私のぼやけた写真では全然わかりないけれど、左側のネオンはジグザグになってます。ミケランジェロ ストレットの作品。


これは覚えてる。左の天井からぶら下がるランプは今をときめくMathieu Mercier(マチュー メルシエ)の作品。
ギャラリーに入った瞬間、マチュー メルシエの作品は絶対あるなってわかってました!
私が一番好きだったのは右側に見える、天井に向かって伸びるチェーンの先に電球をつけたFranz Westの作品かな。


Anita Molinero



上からつり下がる壊れかけたようなシャンデリアは、フランス人で最近売れてる若手アーティストの中では私もかなり好きなDaniel Firman(ダニエル フィルマン)。なんか彼の作品ぽくないように感じるのは私だけかな?
左の台の上に乗っているのは Claude Lévêqueの作品。小降りのビールジョッキの上にランプの傘を置いただけのもの。
奥の唯一電気を使わずに、電気を写真に撮った美しい写真を展示していたのは、Georges Tony Stoll。




Ingrid Luche

作品リストをギャラリーで見たときは、全ての作品が誰のものなのか、簡単にわかるわー。なんて調子に乗ってメモしなかったら、ほらこの通り。
全然誰のか覚えてない。

すいませーん。

こうやって見ると、あんまり大したことない展覧会ですね。
でもこういう小作品やエディション作品はかなり売れるんでしょうねー。



Galerie Alain Gutharc
7, rue Saint-Claude.
75003 Paris
T. 01 47 00 32 10
Mail: gutharc@free.fr
火ー金 11時ー19時
土 11h-13h / 14h-19h

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Elmgreen & Dragset 「Side Effects」

2008/01/29 07:46

 

久しぶりに、Galerie Emmanuel Perrotin(エマニュエル ペロタン ギャラリー)へ行ってきました。パリとマイアミのギャラリーを持つ、日本人ではカイカイキキのメンバーや森万里子を抱える有名ギャラリー。パリでは、去年に元からある展示スペースの裏側にあたる場所に二つ目の展示スペースを開いて、二つの展覧会を同時期に開催するようになりました。




Michael Elmgreenという1961年生まれのデンマーク人アーティストと、Ingar Dragsetという1969年生まれのノルウェー人アーティストのユニット、Elmgreen & Dragsetの「Side Effects」と題した展覧会が2008年1月19日から3月8日まで開催されています。

最初ギャラリー内に入り込んで展示を見渡したときは、「うーん、別に、、、。」という第一印象を受けたんですが、ゆっくり見て行くととても面白くなりました。

パリでのファッションウィークに会わせて開催されている展覧会ということで、Elmgreen & Dragset が作ったマネキンに合わせて、アルベルタ フェレッティ、ソニア リキエル、ガスパー ユルケヴィッチ、ヴァネッサ ブリューノ、そしてヘンリク ヴィブスコフの、5名のモードクリエイターに服をデザインしてもらった作品たち。





ヨーロッパ人の大人くらいの背丈の曲線の美しい彫刻たち。
人間ではあり得ない、滑らかな肌を持ちながら、肌色をしているし、頭部や腕や足、胴体を思わせるような曲線のフォルムが、「洋服」を着せることによって強調されています。
ファッションウィークとかぶせてこの展覧会をするということで、普通なら背の高くて細いモデルが着こなすクリエイターたちの服。それがでっぷりと太った、つるんてんの彫刻に着せる。それでいて、ファッションショーのモデルのように、洋服がいかに映えるように見せるかという目的のために、個性をいっさい消し去っている部分は同じですね。面白いながらもかなり皮肉。


オートクチュールのファッションショーで言えば、これはウエディングドレスかな。


「どーもどーも。」なんてお辞儀し合ってる日本人みたい。


「あのー、このアーティストの資料はありますか?」なんてギャラリーのカウンターに聞いてるヒトみたい。とけこみすぎですね。


これからお出かけに行くマダム?


窓の外に見える庭部分にもこんな展示がありました。エルネスト ネトの作品がぶら下がっているみたいに見えますが、これもモードクリエイターによるものなんでしょうか??これが一番好きでした。

これらの作品はSofa SanchezとMauro Mongielloという二人のモードフォトグラファーによって、実際のモデルのように撮影され、展覧会開催中に発売されるモード雑誌に載るようです。
じゃあ、また近いうちに見かけますね。いつどこでこれらの作品に出会えるのか楽しみ。


マ、マダム!さっき鏡の前で準備してたおでかけってのはこれですか??


このお店の常連さん?


さっきと場所かわってません。

あーなんか楽しい展覧会だった!と思っていたら、それもそのはず、ここで私も記事に書いたことのある、2007年のミュンスター彫刻プロジェクトでヴィデオ作品を展示していたユニットでした。
納得。
全然結びつけて考えてなかったです。



Galerie Emmanuel Perrotin
76 rue de Turenne
75003 Paris
tel : +33 (0)1 42 16 79 79
info)paris@galerieperrotin.com

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Liu Jianhua 「Unreal scene」

2008/01/22 06:23

 

日本にいる友達に頼まれて久しぶりにモンマルトルに行きました。モンマルトルには生地を買いに行くか、パリ市立劇場のアベスのほうに行くかくらいの用事でしか足を踏み入れないので、知らなかったかわいらしいお店を発見してそれなりに楽しかったです。でもまあ、マメでない私のこと、しょっちゅうはどうせ行かないけど。
そして前から「行ってみたいかも?」と思っていたGalerie Paul Frechesにもくじけそうになりながらも行ってみました。
サクレクール寺院を前に見て左横にある、眺めているだけで気の遠くなりそうな階段をほんの何段かだけ上ってすぐを左。そのまままっすぐ行くと、右手にでてきます。


ご覧の通り、展示室は一部屋だけの小さなギャラリー。
ギャラリーのサイトを見ると、お抱えアーティストさんはまだ4人だけ。そのうちの二人が中国人アーティストでしょうか?
展覧会のところを見ると2007年からしか載ってない。ってことは2007年に開かれたギャラリーかな。わっかいギャラリー。

2007年12月7日から2008年2月9日まで、Liu Jianhuaという1962年生まれの中国人アーティストの個展が開かれています。
私は知らなかったけど、バイオグラフィーによると、アートバーゼルだとか、ポンピドゥーセンターでの中国現代アートの展覧会だとか、第50回ヴェネチアビエンナーレの中国館だとか、すでに国際舞台で活躍しているアーティストみたい。そのうえ北京のGalleria Continuaでも去年個展があったよう。
ほー、しらなんだ。


さて今回の展覧会では上海の街をかたどったんでしょうか、いくつかの曲線を描く台に積み上げられたカジノのコインで、上海の摩天楼が再現されています。


写真の中にもコインが登場。前面で明確に捉えられたコインのタワーとその後ろの虚ろなピル群。


こちらはインスタレーション越しに見た写真作品。


どぎつい彩色のカジノのコインとサイコロでできた摩天楼。背の低い私の目線で覗き込むとこんな感じ。
ここで私が気になったのは、そんなすぐに崩れてしまいそうな色とりどりのビルの間が埋まっていないことでした。
ギャラリーの空間に浮かぶ島とそのうえにできた頼りない街。でもその積み重ねられたコインの間の隙間に住む人々も大勢いる。この格差が今の上海なんでしょうか。


狭いギャラリーの空間をとてもうまく利用したインスタレーション。写真作品が壁中を覆っているのではなくて、たった2枚しか展示されていないのも、いいですね。

私の写真はぼけまくっているので、ギャラリーのサイトからどうぞ。写真をクリックすると、展覧会風景が7枚、写真作品が5枚も見れます。こういうところにちゃんとお金をかけられるギャラリーはいいですね。展覧会では2枚しか写真が展示されていなかったし、メールでのお買い上げも多い昨今、ギャラリーが集まる地域から少し離れているところにあるギャラリーにとっては必須ですね。


Galerie Paul Freches
12 rue Andre BArsacq
75018 Paris
tel : +33 (0)1 53 09 21 12
fax : +33 (0)1 53 09 23 22

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15ans après...

2008/01/13 06:30

 

2007年でギャラリーをオープンしてから15年目のGalerie Zürcher。普段あまり行かないギャラリーなんですが、ふと入ってみると、2007年11月13日から2008年1月10日まで、ギャラリーのアーティストたちのグループ展が開催されていました。

その展覧会自体は1アーティスト1作品、ギャラリーのアーティストたちのグループ展らしく、まあ倉庫に残ってるのを出してきたんでしょうね、というものですが、何よりも私が面白いと思ったのはプレスリリース。Bernard Zurcherによって、A4サイズの紙一枚に入る形で15年が振り返られています。

1992年にBernardとGwenoleeのカップルによって始められたGalerie Zurcher。
この二人はギャラリストという実業家である前に、美術を研究対象として接する研究者でもあります。ベルナールは近代美術史家で、H.E.C.(Ecoles des Hautes Etudes Commerciales:経営大学院)キャンパス内の現代アートスペースや、パリのボン マルシェというデパート内のL'Entree という現代アートギャラリーの創設者でもあります。またグェノレもアジア芸術のエキスパートと翻訳家でもあります。

プレスリリースをかるく訳してみます。

どうぞー。

ニューヨークに新しいスペースを開くことに決めた。(ポンピドゥーセンター近くのパリのギャラリーも続けながら。)新しいチャレンジ。今私たちがここにいることは、アーティストたち、コラボレーターたち、そしてたくさんの友達であるサポーターたちのおかげである。ジョアン ミッチェルとVetheuilで過ごしたいくつもの情熱的な夜。時にはDominique BozoやWillial Rubinも交えて。(これはそういう意味でなく討論が情熱的ってことですよ!!ってわかってますって?)彼女は新しい冒険に突き進む私たちを盛んに励ましてくれた。1980年のAime Maeghtとの昼食も覚えている。彼が亡くなる何ヶ月か前だった。私はその頃オランジュリー美術館で働いていたけれど、"Art vivant" (Maeghtギャラリーから発行されていた雑誌)に魅了されていた。私の彼に対する賞賛を知っている共通の友人がこの出会いをアレンジしてくれた。昼食会の中盤ほどまで私を無視していた彼が、急に私のほうを振り返った。「そこの若者よ!ギャラリーを開きたいんだって?ギャラリーを開いてから10年後から話は始まると知っておきなさい。」彼は正しかった。1992年にシャポン通りにギャラリーを開いてから、2002年になるまで、経営を安定させることができなかったんだから!学生時代、エール ローブという、私にとって現代のギャラリストのプロトタイプと言える人を知った。彼は持続によって成り立つ仕事を教えてくれた。20世紀初頭、ギャラリストはエディターとして、またプロデューサーとして存在した。21世紀、ギャラリストは実業家としての素質も備えていなければならない。

そしてこの文章のあとには簡単なギャラリーの歴史。この部分もはじめは面白いなーと思ったんですが、このブログに書こうと思ってもう一度目を通してみると何かが気にかかる。その何かとは、上の文章でもそうですが、すべての文に彼らの話ではない、別の有名人の名前が入っていること。彼らとアーティストたちとの歴史ではなく、「○○年。アーティスト、○○と出会う。売れなかった。しかしアルフレッド パックマンの招待により、最近ポンピドゥーセンターで個展が開催された。」とか「○○年。アーティスト○○の展覧会を開く。今年彼は○○ギャラリー(世界的に有名なギャラリー)のアーティストの一員になる。」などなど、ほかの有名ギャラリストだとか有名コレクターだとか、有名キュレーターの名前が一行ごとに、挿入されています。まるでそうでもしないとGalerie Zurcherの歴史に意味がないかのように。

この部分は「グェノレは1992年から小さな赤い手帳にピーター ドイグの電話番号を持っている。」なんてところから始まるんですが、それだって別にピーター ドイグはこのギャラリーのお抱えアーティストでもなんでもないし、ただ彼女がギャラリーを開く準備をしている期間に、あるニューヨークの小さな小さなギャラリーでピーター ドイグの作品を見て感動して、電話番号を教えてもらったけど、結局連絡しないまま、ほっといて、そうこうしてる間にほかのギャラリストたちによってピーター ドイグは発見されてしまったわけです、だからってどうなんでしょう?この文章で「私たちには見る目がある」って言いたいんでしょうか?そういう感じの文章がやたらと書かれています。そこで行動しなかった自分が恥ずかしくて、世界を目指すギャラリストだったら普通言えないと思うんだけれど。
そう考えると最初の部分の1992年から2002年までギャラリーの経営が安定しなかったとか書いていることも、いくら過去の話とはいえあまりいただけない。

うーん、実際このギャラリーにはいいアーティストさんもたくさんいるんだし、こんなふうに幼稚なプレスリリースで中途半端な自慢みたいなことしなくてもいいのになー。と思いました。


良いことを書こうと思って書き始めた記事なのに、なんだか微妙な気分で終わってしまいましたね。
なんだか申し訳ないので、写真載せておきます。














Galerie Zürcher
56, rue Chapon
75003 Paris
tél 01 42 72 82 20
info@galeriezurcher.com

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joie de construction

2008/01/08 07:00

 

あけましておめでとうございます。久しぶりの更新です。
2008年はもう少しこのブログに力を注いでいきたいと思っていますが、どうなることやら。どうぞ見守ってください。

さてさて私が2008年初のギャラリー巡りで行った、最初のギャラリーはこちら。
GalerieGana-Beaubourg
ま、理由は家から近かったのと、前にも通ったことあるけど入ったことないし、ちょっと入ってみよっか。という簡単なものです。

このギャラリーは2007年のArtParis(パリで年に一回開催されるアートフェアー)に参加していたのが記憶にあり、偶然発見したので寄ってみました。
ArtParisで韓国の現代アートギャラリーだと知り、韓国人アーティストの作品が見れるのかなーと思っていたのですが、アーティストたちの名前がどうも韓国チックじゃない。
このギャラリーは貸し画廊でもあるのか、サイトにも今回の展覧会のことがまったく載っていませんでした。とても良い空間だし広いし、貸し画廊だとしていくらくらいするんでしょうね?

2007年12月21日から2008年1月12日まで開催されている今回の展覧会は、peeping tomという非営利団体の創設者、Caroline Niemantがキュレーションした「joie de construction」(構成の楽しみ)というタイトルのグループ展です。
Melanie Bonajo、Jaap Scheeren、Lukas Wassmann、3名の写真家の作品たち。
グループ展でタイトルも存在するし、別段、それぞれのアーティストがひとつのチャプターとして存在しているわけでもないのに、各アーティストたちも自分たちの展示にタイトルをつけていました。なんででしょう?

まずは一階の展示から。

Melanie Bonajoは1978年生まれのオランダ人アーティスト。
タイトルはAre All Cliches True?




裸の女性が日常生活の用品に縛られています。

裸で縛られる女性はアラーキーですが、


日用品に縛られてるのはダニエル フィルマン。


Melanie Bonajoはこのふたつをミックスして作品を作ってしまいましたね。

そこから私が見たのはやはりフェミニズムでした。でもそれじゃあ平凡すぎる!!
絵的には面白いんやけど、もうちょっと何かが欲しいところ。


気を取り直して2階にあがってみましょう。

1979年生まれのオランダ人アーティストであるJaap Scheeren。
展示のタイトルはWhy flies don't fly

そしてこの展覧会で最も美しかった作品に出会いました。


この作品以外はどれもいまいちなのに、これだけは輝いていた。
その輝きは、見るからに美しくあるべきものの放つものではなくて、何かを失ってしまったものの輝き。

それはポンペイ遺跡の美しさでもあり、




またそれらの跡を残そうとしたときの美しさでもある。


最後に1980年生まれのスイス人アーティスト、Lukas Wassmann。
タイトルはParis:Part One
私は個人的に、3人のなかで一番このアーティストのまとめかたというか、作品全体の持つ雰囲気が好きでした。

全部矢印になってる。




上の作品たちは頼りないバランスで成り立ってるオブジェたち。

少しFischli Weissみたい。



なかなか良いと思います。



新年早々、適当な更新ですいません。

毎回何十ものギャラリーを巡って、すべての展覧会に感動したりできるわけではもちろんありません。たくさんの作品を見て、少しでも自分の感覚が養えたり、「好き!」じゃなくても「好きかも。」と思える作品に出会えることも、ギャラリー巡りの大切な過程のひとつだと思います。
今回の展覧会は3名のアーティストとも、27歳から30歳までの若手。
これから、またいつかどこかで彼らの作品に出会えるかな?そのとき、どんなふうに彼らのアートが発展しているんでしょうね。

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Haim Steinbach(ハイム ステインバック)

2007/12/08 04:03

 

今回は以前にもWang Duの展覧会についてこのブログにも書いた、Galerie Laurent Godinで、2007年11月10日から2008年1月5日まで行われているHaim Steinbach(ハイム ステインバック)の個展を紹介します。

ハイム ステインバックは1944年イスラエル生まれで1962年からアメリカに移住したアーティスト。1980年代から、自身の日常生活を構成する家や画廊、美術館や劇場、店などの場所で見つける様々な用品を、整然と展覧会場に陳列することによって、日常用品が「オブジェ」としての存在へと変化し、それらに別の意味を与え、現代の消費文化のカオスの中で埋もれてしまっているオブジェたちに、秩序を追加するという作品作りをしています。


ギャラリーの中に入るとなんだか臭います。「なんでかな?いっつもこんな匂いしないのに、、、」と思いながらも、鑑賞開始。


入ってすぐにあるのがハロウィーンの怖い顔したカボチャとこれまた怖い顔した二つの水筒。ハロウィーンの終わったあとの11月から始まるこの展覧会。今頃は捨てられたか家の押し入れに来年までしまわれてしまっているオブジェたちを、わざわざ台まで作って展示するのがまさにハイム ステインバックの世界ですね。

Heather Legacy 1, 2007


奥のほうに入ると匂いの理由がわかりました。これ。Untitled (Thirteen Pigs)というタイトルの通り、天井からつり下げられた13本のオーヴェルニュ地方の生ハムの塊。









それぞれの塊の下には円状に置かれた砂。ハムが乾きはじめて出てくる脂がたれてます。

ハイム スタインバックが作品に食物を利用したのはこれが初めて。
ヴェルニサージュのときには、豚飼育者を呼んで生ハムの試食会が行われたそう。
スタインバックの作品で使われるオブジェたちは視覚と知覚を使って鑑賞するものだとしたら、今回初めて使われた「オブジェ」は嗅覚と味覚も刺激する作品になりました。試食会となったパフォーマンスはまさにスタインバックの作品作りのコンセプトの中心に位置する消費社会というものに、観客たちが飛び込んで結局は「アート(生ハム)を消費する(食べる)」立場に無意識にたつことになります。消費社会のカオスの結晶として展示されるオブジェと、その消費社会を構成するのに欠かせない消費者。パフォーマンスでは観客(=消費者)たちも作品の一部になっていたことになりますね。


Painted Screen, 2007

最後はこれまた不思議なオブジェ。何かの卵のようなものが黒いお盆にのせられています。その横には金属でできた、、、、これ何?
この金属でできた尖ったオブジェは、お墓の花器をひっくり返したもの。そして私が卵?なんて思ったのは、染料と粉状にするための石らしいです。どちらも現代では使用されなくなったモノたち。

日常生活に根ざしたものを普段のコンテクストから切り離し、仰々しく展示することによって、ヴィジターに「オブジェ」となったモノとして提供し、それらのモノに対する私たちが持っている知覚を変化させ、「モノとヒト」という関係をも変化させるという、スタインバックのコンセプトがまずあります。

そのあと、この今回の展覧会を再度眺めまして、「死」というテーマが隠されているのではないかと思いました。

豚の死骸でもある生ハムの塊。天井からつるすというプロセスは、昔の死刑囚の首吊りのように、そして西洋美術史で、静物画や、近代、現代のアーティストたちが大きく影響を受け、何度もオマージュを贈るかたちで自分たちの作品のテーマとした、レンブラントの「皮を剥がれた牛」に代表されるような、動物の死骸を描くときに使われた用法とまったく同じだと気づきます。
「死」とつなげると、13本という生ハムの数にも納得。
ハロウィーンに関するオブジェも常に死がテーマになっているし、最後のオブジェ2品も、ひっくりかえされた花器はお墓用のものであり、そのうえ生ハムの塊のように逆さになっています。染料を粉状にする石も、固形のものを「擂る」=「潰す」ということで、「破壊」するというモノのある意味での「死」を意味するのではないでしょうか。

Galerie Laurent Godin
rue de Grenier Saint Lazare
75003 Paris
tel +33 42 71 10 66
fax +33 42 71 10 77
info@laurentgodin.com
火ー土 11時ー19時

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Luigi Ghirri(ルイジ・ギッリ)「Kodachrome」& Martha Colburn

2007/12/07 04:40

 



北マレの太陽の光が全然入ってこないような狭く汚いうらぶれた小道にも、何百万、何千万円の価値のある作品を扱う有名な現代アートギャラリーがいくつかひそんでいます。
そんなギャラリーの中のひとつがこちらのGalerie Anne de Villepoix

2007年10月27日から12月8日までLuigi Ghirri(ルイジ・ギッリ)という1943年から1992年まで生きたイタリア人写真アーティストの展覧会が開催されています。

ルイジ・ギッリが1970年代に撮った写真たち。
特に1970年代前半が中心に展示されていました。彼のキャリアの最初のほうですね。





7x10cmくらいのちいさなちいさな写真から40x50cmくらいまでの作品まで、とにかくひとつひとつの写真は、小さかろうが大きかろうが、いつまでもいつまでもじーっと見つめていたくなるほどの詩的な美しさを持っています。

展覧会のタイトルである「Kodachrome(コダクローム)」といえば、写真フィルムの普及したもの中でもっとも古いマークですが、アーティスト本人が1979年にパルマ大学で個展を行ったときのタイトルでもあります。彼にとっては「コダクローム」=「写真」という意味で存在していたようです。



空というのはプロでもアマでも写真を撮る人の最大の主題ですが、線が入るとこんなになる。すばらしい!空の写真が私は好きじゃないけれど、これは本当に美しい。



右上の双子の木の写真なんて「うんわー!」となる。




私が大好きだったのは、写真の中の鏡シリーズ。写真というカメラのレンズによって切り取られた風景のなかに、鏡という枠によって切りとられたまた別の世界が広がっています。手のひらよりも狭い作品のなかに、どこまでも果てしなく続くような風景が存在しています。ドラえもんの「どこでもドア」みたい。(ちょっと違う?)





奥の展示室で気になった作品。上の写真の鏡シリーズと撮り方が少し違うけれど、基本的なアイデアは同じです。ウインドウの向こう側にあるマリリン・モンローの写真。マリリン・モンローのシンボルは口元だと私は勝手に思っていますが、その口だけが主張をしています。目や顔の上部はこちら側の道を行く現実の人たちに踏み潰されているよう。でもマリリン・モンローがどんな目をしているのかが、私たちには見えます。マリリンというアイコンのすばらしさ。

写真って現代では誰でもが良いカメラを使ってある程度なら良い写真を撮れたりしますが、昔のカメラとフィルムを使用した写真の、なんだかざらざらした感じや色はやっぱりでないのかな。ロモとかもはやってますが、やっぱりそれとアーティストの生み出すものは違うんだ、と、いつもどおり実感し、とても気持ちが良くなりました。

写真が大衆のものになった時代の中で、「アートとしての写真」と、それでも「日常という名の普通の現実を切り取る」というコンセプトをひしひしと感じる展覧会です。

私が撮った写真だと、額縁のガラス部分が反射してなんだかよくわかりませんね。
ギャラリーのサイトからいくつか作品が観れますのでそちらでお楽しみください。


ルイジ・ギッリの展覧会とともに展示されていたのは、Martha ColburnのCosmetic Emergencyという映像作品。
顔中に何重にも塗りたくられた絆創膏や傷跡や手術の跡をあらわすグロテスクな絵の具が、ものすごい速さではがれていくと最後に雑誌で見るような「綺麗」にお化粧をして笑顔のモデルになるというもの。
雑誌の切り抜きに描かれていったものの早逆回しですね。
これも面白かった!







Galerie Anne de Villepoix
43 rue de Montmorency
75003 Paris
tél +33 (0)1 42 78 32 24
火ー土 10時ー19時

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Mel O'Callaghan 「Landslide」

2007/11/07 22:24

 

私たちアートラヴァーに欠かせない、パリの有名現代アートギャラリーでのプログラムを紹介するGalerie Mode d'Emploiに、今年2007年9月から参加したGalerie Schleicher+Lange
ドイツ人二人組みによって開かれ、同じく今年からPalais de Tokyoのディレクターに就任したマーク・オリヴィエ ワーラーとの親交も深いギャラリーです。


外観もいかにも若手ギャラリーっぽい。はっきり言って、このブログで紹介しているギャラリーよりもなんだかうらぶれた感じ。

友人が一時期ここで働いていたので存在は知っていったものの、私にとってもこのギャラリーに足を踏み入れるのは初めてでした。

Mel O'Callaghenという1975年シドニー生まれ、現在はパリ在住のオーストラリア人アーティストの「Land Slide」という個展が2007年9月8日から10月27日まで開催されていました。

地階にインスタレーション作品2点、地下階にヴィデオ作品一点が展示。


Over Lines, 2007
軍隊で使用されるような深緑色のテント生地が展示場の角や柱につながれたワイヤーによって壁に吊るされています。写真でもわかるかもしれませんが、テントの真ん中あたりがまるで息をしているかのようにぷくーと膨らんだり、しぼんだりします。
「軍隊」が使う「テント」なんて非常に人工的で無機質なものであるのに、なんだか生きているよう。「美しさ」は全く追求せずにそんなものからほど遠いところに存在するはずのテントが、とても美しいものに見えます。



Weight Unknown, 2007
グレイの筒から煙に見える霧が噴出していて、ちょうど写真を撮っている私の足元に壱する小さな扇風機によって、上へ上へ舞い上がっていきます。
上のテントの作品が、人工的なものを用いて山や丘などの自然をふと思い浮かばせるような一面を見せているなら、こちらは逆に自然現象である霧を人工的に発生させて、その流れて行く方向まで支配してしまっている作品。



The End, 2007
男性がまわりに誰もいない状況でたった一人、ふきすさぶ風に追われるように砂浜の上を迷いながら歩き回っています。
人工的だとか自然だとか言いながらも、地階の展示では「人間」や「人間性」というものが一切排除されていました。そして地下に続く階段を降りてみると、ヴィデオ作品の中に一人の「人間」を発見しました。
ひと時として同じ風景ではとどまっていない、強風にされて表情を変化させる砂浜と水面、そしてそんな風景の中で立ち止まったり、ふと歩き出したり、せめて風に飛ばされないように自らの身体を必死に支えようとしている人間。

私がこの作品を観て感じたのはありがちな「自然には勝てない人間」とか「自然VS人間」とかそういった類いのものではなく、人間と自然は似ているのかもしれない、ということでした。人間だって基本的には自然と同じように地球という星の上にへばりついて息をしている生物であるし、そう考えると人間もその風景のひとつ、自然のひとつでしかない。

展示の流れが素晴らしい個展。
これからもこのギャラリーと、お抱えアーティストさんたちに注目していきたいと思います。

あ!値段聞くのを忘れてしまった、、、。


galerie schleicher+lange
12 rue de Picardie
75003 Paris
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Jean-Francois Fourtou 「Mes Maisons」

2007/11/07 05:06

 


パリのMarian Goodman Galleryと通りに面する扉を共有して左側に位置するJGM Galerie。このギャラリーは1960年代から今日までのニキ・ド・サンファルやジャン・タンギリーなどの現代アーティストたちの彫刻作品を中心に紹介している。

2007年10月20日から11月24日まで、このギャラリーで「Mes Maisons」というタイトルのJean-Francois Fourtouの個展が行われている。

Jean-Francois Fourtouは動物のモチーフを使った作品で有名な1964年生まれ、現在はマドリッドとマラケッシュに在住のフランス人アーティスト。現在パリのLa Vilette(ラ・ヴィレット)で開催されている「Betes et Hommes」という展覧会でも作品が展示されている。


今回の個展は、彫刻と写真で構成されている。

「Mes Maisons」、「僕の家たち」と聞いて、私たちは何を思うだろう。
それは現在住んでいる家であったり、子供のころに住んでいた家であったり、思い出深い誰かの家であったり、はたまた自分の心の中に隠し持つ「家」であるかもしれない。

ギャラリーの中に入ると、なんだか不思議な写真と、私たち日本人には少し慣れないようなヨーロッパの田舎に昔からあるような家具に囲まれる。
写真をよく見てみると、まるでガリバーの世界の写真を見ているよう。配置されている家具もやけに大きい。





Jean-Francois Fourtouはこの展覧会のために3つの大きさの家具彫刻を製作した。
一つ目は一般のサイズの2倍のもの。上の写真の椅子やコート掛けくらい。
二つ目は4分の3サイズ。子供にちょうど良いくらい。
三つ目は5分の1サイズ。懐かしい人形の家くらい。

これらの様々なサイズの家具とともに、そこになんだかいたたまれないような腑に落ちないような表情で佇むおじさんの写真たち。

そして母親のおなかの中にいる胎児のような格好で、小さな家に包まれている裸の人間。私たちにとって「家」はそんな場所なのか。地面の上に立つ自分の家の中にいても母親のおなかの中と違って、守られているように感じない人も大勢いるだろう。でも世の中のすべての人が「家」を持っていればいいのに、と思う。

次の展示室に進むとかたつむりたちが天井と壁に貼り付けられていた。
かたつむりの殻も彼らの「家」だ。
外の世界から逃げ込む「家」。私たち人間も、そんな場所を世界のどこかに、はたまた心の中に持っている。「家」という言葉にはそんな意味もあるはず。

そういえば、私もたまに、ベッドの脇なんかの自分の体のサイズがすっぽりはまってしまうようなちょっとした隙間に身を嵌めるとなんだか落ち着くような気がして、好きだなあって思い出した。


かたつむりという多数の「家」に支配されてしまった家。


最後にJGM Galerieの中庭にある通常の2倍サイズのベンチにふと座ってみた。
足がぶらんぶらんとして不思議な気分になったけれど、背の低い私はどうせフランスの自分のアパートのトイレでさえ、いつも足が床についてないのだ。


ギャラリーのサイトから他の作品の写真もたくさん観ることができますよ。


JGM Galerie
79 rue du Temple
75003 Paris
tel 33 (0)1 43 26 12 05

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